子供が生まれました

子供が生まれました

突然ですが子供が生まれました。

👶 < Hello, world

出産までの10ヶ月間

出産直前までを時系列に沿って人生を振り返ってみる

1月 パートナーの妊娠発覚

パパ、頑張るよ。まずは童心を思い出すよ

2月

Pilllリリースした。パパいっぱい君と遊びたいから働く時間減らせるように頑張るよ

bannzai.hatenadiary.jp

3月

こちを出迎える。パパな実は君より先に扶養する子が増えたんだ

4月

無職になる。パパな、無職で食って行こうと思うんだ

5月

Appifyで働き始める。パパな、やっぱり働くよ。無職で養うのまだ無理だと気付いたんだ

6月

エンジニアに話しかけていいタイミングをやる。パパな、バズり方覚えてそれでガッポガッポしてこうと思うんだ

7月

鹿児島に引越し。パパな、オリンピック開催前に一回東京から出た方が良いと思ったんだ。パートナーの実家近くに場所に行こう

8月

パパ誕生日。パパな、やっぱりスターを乞食するのやめられないんだ

9月

宣言的無職。パパな、今月パパになるんだ

9月...

👶 < おんぎゃあ. ⭐️ < うおおおおおおおおおおおおおおおお!

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ピックアップ

無職って言っていた9月~11月までは育休予定です。鹿児島に引っ越したのは、オリンピック東京で開催変わらずか。東京出ておくか。 彼女の実家近くで助け借りよ。っていうのが経緯でした。

立ち会い

コロナ禍で出産の立ち会いが多くの病院で禁じられていたのですが、(パートナーがめちゃくちゃ)交渉してくれて実現できました。実の所出産に立ち会うって感覚が最初知らなくてそれが良いことかどうかがわからなかったのですが、実際に立ち会ってみると言葉にできないくらいの感動がありました。特にこのご時世で立ち会えたのは本当に幸運なことだと思っています。思い出したらまた感動してきた執筆終わったらパートナーにもっとお礼言お。

リアル

さて、このセクションでは出産の想像と現実のギャップについていくつか書きます。私(妊婦側ではない)目線の話ではあるのでそこは注意してください。もちろん全て個人差があります。まず私が持っていた妊娠から出産までのイメージは下のような感じでした。

想像していた

  • つわりはあるし妊娠中期~後期は胃に優しい食生活とかを心がける必要がありそうだ
  • お腹が大きくなると動くのもつらそうだから俊敏にサポートしよう
  • 陣痛が来たらすぐに病院に運ぼう。そのまま立ち合いになったら出産は痛いだろうしさポートしよう。声をかけよう
  • 出産直後は彼女は体力が無いだろうけど「ほら産まれたよ。よかった 😭」って言い合おう

直面した現実

想像とのギャップを書く

つわりはあるし妊娠中期~後期は胃に優しい食生活とかを心がける必要がありそうだ

初期からめっちゃつわりもあるし、パートナーが偏食になり食べれる食糧を調達する必要がある。ほぼ毎日変わる時期もあったのでネットスーパー買いだめとかは無理

お腹が大きくなると動くのもつらそうだから俊敏にサポートしよう

つわりでふらついているし初期から想像以上に動く。お腹が大きくなると立ち上がるのも常に全力なので補助は必要。寝たきりサポートくらいの勢い

陣痛が来たらすぐに病院に運ぼう。そのまま立ち合いになったら出産は痛いだろうしさポートしよう。声をかけよう

想像の補足から。陣痛が来たらまもなく分娩室(赤ちゃんを産むところ)に入って気張るのだろう。それが通常ルート。とか思っていましたが体験したものは違いました。

まず、陣痛の練習みたいな前駆陣痛という現象が起きます。これは陣痛よりも弱い痛みでお腹が痛くなります。区別がつけば良いのですが痛みの度合いや痛みの間隔などの肌感に近い判断材料しかありません。その肌感も初出産時には違いがわかるわけないので常に緊張しています。彼女の場合は前駆陣痛が2日間くらいあってから夜中に本陣痛が発生しました。ここで私たちは外さずに病院に行けましたが隣で見ていても「常に痛そう」って感じだったのでよく病院行くタイミング外さなかったな。と思っています。反面、痛さが違うので外さなかったという見方もできますが、病院に向かっている途中お互いに半信半疑ではあったとは思っているので簡単ではないです。

さて本陣痛だったと発覚してからなのですがすぐに産まれるわけではありません。彼女がその場で入院が決定し出産までは病院にいることになります。そしてこの時間は一概に何時間という指標があるわけでもなくまちまちです。彼女の場合は10時間の闘いの末に出産になりました。人によっては陣痛は「内側からハンマーで殴られるような」激痛らしいのでその状態で数時間はやばそうですね。

彼女の入院中はコロナ禍で一緒にいることができないので自宅待機していたのですが、「そろそろ産まれるから来て」と病院から電話があり院内に入りました。待機室に案内されそこで待っていたのですが時折「ぎゃあああああああああ」という声が聞こえてきました。その時は「もう一人いるのか。難産かな。痛そう」と本心で自分達ごとに思っていませんでした。実際その断末魔のような叫びは私の彼女の声で、後に安産と言われたのに、出産時の激しい痛みに耐えようとしている声でした。分娩室に入りそのことを認識すると脳が一瞬フラッシュしました。意識が朦朧としている彼女。血だらけの部屋。彼女の体制が変わらないようにつけられている拘束具。定期的に起こる断末魔の叫び。

いやいやここ拷問部屋の間違いやろ。と思いました。

のちに私が泣きそうな顔だと聞きましたがサポートどころではありません。むしろ看護師さんにサポートされていました。 というかサポートの余地がない。。。まじで手を握っているだけだった。。。

出産直後は彼女は体力が無いだろうけど「ほら産まれたよ。よかった 😭」って言い合おう

なんだかんだ言って出産は終えました。疲れたとは違いますが私も40年分くらいの人生を過ごした気分でした。生まれたら終わりというわけではなく例えば出血をしていたら止血等を先生たちが並行して行っております。全然「産まれたよ。よかった 😭」と手放しに言える雰囲気ではありません。先生は言ってたけど。今度は母体に対してあれこれしています。私はあわあわしています。

とはいえ時間にしてはそれまでの衝撃の連続と比べると短い時間でした。そのあとは彼女とも喋ることはできました。できたのですが、「俺だったら気絶しているし喋る元気とかないな」って状態だったのでよく喋れたな。と思っています

コロナ禍

今回体験した出産事情は史上稀な環境だったと言えるのではないでしょうか。世界中でパンデミックが起きている中での出産です。通常だったらこうする。これができる。と言った期待も持てない状態でした。立ち会いの例もそうですが気分転換の選択肢の少なさも挙げられます。妊婦は基本的に薬等は使えないし免疫力も弱くなっています。感染力が高いウイルスとは特に相性が悪いです。通常の外食もできないし、私が運んでくる可能性もあるのでこの期間は出社含めての対人の場面を最小限に過ごすようにしていました。

必要であれば一部の人には言いましたが、この期間対面の予定全部断っていたのは ↑ の理由です。

あとからやればよかったと思ったこと

散々悲惨なシーンを書きましたが、やはり人生で思い出の場面だったことには変わりません。あとから何とも言えん感動も込み上げてきました。当事者からするといきなりその場面に遭遇すると何も余裕はありませんが、「悲惨さも含めて動画撮っておけばよかった」と思っています。同じような人がいるようなら動画をとりあえず回しておくことをお勧めします。

我が子

我が子可愛い。産まれた瞬間から可愛い。出産直後からまじ可愛い。指を握ってきます。嘘お。え、こんな可愛い生物いる?泣きます。嘘お。え、可愛い。嘘お。大きさは3,332gでした。あと1gでゾロ目なところも可愛い。髪の毛が思っていたよりも生えています。可愛い。手足の指が長い。可愛い。すごい。ほっぺが柔らかすぎる。すごい。パパが抱くと泣き止みます。これが尊いってやつか。指をチュパチュパしている。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。

終わりに

書きたいことが山ほどあるのですが、すべてを文章にするのも大変なのでここら辺で筆を置きます。またオンラインでカジュアルにお話でもしましょう。最近身の回りがベビーラッシュなので落ち着いたらみんなでご飯でも行きたいですね。東京にもそのうち戻る予定なのでその時は誘ってください。

今日はスターは乞食しないお ( ^ ω ^ )。その代わり祝いの言葉待ってますね

おしまい \(^o^)/